横須賀は海軍の街 その3 [日記・雑感]

今日は、5月27日です。

カードの引き落とし日でも、給料日でもありません。

「日本海海戦」の日です! 

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3、戦艦”三笠” 見学

現存する唯一の”大日本帝国海軍の軍艦”です。 一時はかなり荒廃し、戦後は進駐軍にダンスホールや水族館にされちまったそうですが、現在は復元され記念館として公開されています。 

日露戦争・日本海海戦における連合艦隊旗艦としての活躍は、近年ではNHKドラマ「坂の上の雲」で遺憾なく描かれました。

また、某人気漫画(アニメ)の”肉そぎ系女子”の名前の由来でもあります。[ふらふら][ふらふら][ふらふら]

英国ビッカース造船所製 竣工・就役1902年

排水量:15,140トン

全長:122m  全幅:23m

速力:18ノット

乗員:850名

兵装:主砲30センチ砲4門、副砲15センチ砲14門、補助砲8センチ砲20門、40センチ魚雷発射管4基

思っていたより小さく感じました。

 

1905年5月27日 日露戦争日本海海戦

当時世界最強といわれたロシア帝国海軍バルチック艦隊に圧倒的勝利をおさめ、日露戦争を勝利終結に導いた戦い・・・。

109年前では生き証人もおられないでしょうし、私たちには教科書で習う歴史の1項目に過ぎないのかもしれません。

しかし時間は連続していて、歴史を作るのは人です。

小さなアジアの国が、巨大な清やロシアに勝利したことは事実。

偉大な先人達が、世界に影響を及ぼし、日本国の地位を高めてきたことを、感謝とともに再認識しました。

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前方から。 30センチ主砲と艦橋。 東郷平八郎司令長官や秋山真之参謀が立った最上艦橋。(人気スポット?です。) 
艦橋の下に見える、細い溝の空いた円筒状の部分が司令塔。 ドラマ「坂の上の雲」で、(最上艦橋は)危険だから、司令塔に移ってください・・・と部下に言われた東郷長官が、「年寄はここにいるから、若いもんを・・・」というシーンがあります。(史実の通りだそうです。)司令塔は厚さ25センチの鉄板でつくられた、艦の中で最も頑丈な部屋。舵輪や羅針盤など重要な装置も配置されています。 

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司令塔の内部。 確かにこのシーンありました。 
ロシア艦にもありましたね。 
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最上艦橋から前方を見る。 

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最上艦橋の各人の立った位置にプレートが貼ってあります。 「じゅんさ~ん」と叫んだのはMy娘。

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長官公室。 この部屋でのシーンもたくさんありましたね。 ロケはここを使用したのでしょうか?

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上甲板の8センチ補助砲。 オープンデッキ?です。担当の水兵さんたちはここで食住を営んでいたのだから、冬場なんかは寒かったことでしょう。
日本海海戦は日本の大勝利とはいえ、多くの死傷者を出しました。 「三笠」では最も多かったそうです。
それでも死亡9名(8名の説もある?)、負傷者百有余名。
こういっては不謹慎かもしれませんが、大きな戦闘だった割には戦死者が少なくてよかったと思いました。
(陸軍はぼろぼろだったし・・・)
ところが・・・
同年9月11日(いやな日ですな)、佐世保港内で爆発事故を起こし、339名もの犠牲者をだしてしまいます。(乗組員の約40%!)
せっかく日露戦争を生き残ったであろう水兵さんたちが・・・[もうやだ~(悲しい顔)]
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先人の苦難と偉業の一片を知りました。
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まことに小さなが、開化期を迎えようとしている。
 
この時代の明るさは、こういう楽天義(オプティミズム)から来ている。
 
彼らは明治という時代人の体質で、前のみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
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そんな生き証人が「三笠」であり、私たちはここから何を学ばなければならないのか?
そんなことを考えた1日でした。
余談
我が家族は家内と娘2人。 
横須賀なんて女性向きじゃあないのではないかと思いましたが・・・どうしてどうして、楽しんでくれました。
(もともと娘のリクエストだったのですが。)
以来、自衛艦をTVで見ると、ナンバーから艦名を調べるようになった。 
何か間違った感もありますが・・・まあ、いいか。

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